表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬

この本は芸人のオードリーの若林(敬称略します)が書いた本だ。

彼のことはテレビを通して知っていて、このタイトルと若林が書いたということで

純粋に面白そうだなと思い手に取った。

帯には、「ぼくは今から5日間だけ、灰色の街と無関係になる。」とあった。

そうそうこの表現の感じ。“灰色の街”とは本のタイトルからして東京のことだろう。

こういう斜に構えたというか、薄っぺらい表現になるがこの後ろ向きな感じが好きだ。

そういうわたしはどちらかというと楽観的で、あまり物事を深く考えないタイプだ。

ネガティブな思考が働くと勝手に脳がポジティブに上書きして、ネガティブな部分を隠してしまうので、物事を深く突き詰めて考えてこない人生だった。

最近になってようやくこういう自分のめんどくさい性格が分かってきたけれど、なかなかこの脳の半オートマティカルな上書き機能を変えられそうにない。だから、こういう世に言うネガティブな人の思考が興味深いのかもしれない。ネガティブな人ほど、周りを見て考える力があるように思う。若林なんかは私の中でネガティブ代表なので、いい勉強になるに違いない。

前置きがだいぶ長くなってしまったけど、ここからやっと本編の感想。

この本は若林が行った海外旅行、(ニューヨーク、)キューバ、モンゴル、アイスランドの紀行文だ。なので、読んでいるともちろんその地に行きたくなるし、海外旅行に行きたくなった。

だけど、やっぱりただの紀行文で終わらないのが若林だ。(なんか偉そうな感じになってしまった。ごめん、若林。)

まず、ニューヨークの街の感想を、“金とアドレナリンの匂いがどこに行ってもしていた”と言っている。まぁこの感覚はニューヨークに行ったことのないわたしでも、なんとなく伝わってくるイメージ。

そして、“観光名所で入場前に係のアメリカ人に「Enjoy!」と言われ、握手やハイタッチを求められる度に削がれる「エンジョイしたい」気持ち。”

…なんでっ?!なんの疑問もなく「Thank you!」と言ってしまうわたしにとって、もう疑問でしかない。それこそ両手を広げて「Why?」と言いたい。

こういう「Why?」となるのがわたしのこの本書の楽しみ方だ。ほんとにいろんな性格の人がいるなーと思うと同時に、わたしのパートナーを思い出す。彼も若林のようなネガティブ人間だ。そして、若林の思いもよらない反応の度に彼にこの本を読ませたいと思った。

さて、このままでは若林とパートナーの話が逸れそうなので戻します。

この本の中には海外の面白い話だけでなく、日本の社会についても書かれている。

例えば日本の年功序列、終身雇用。勝ち組負け組、新自由主義、、。

日本の一様感というか、みんなと同じじゃないと浮いてしまう、日本が信仰しているのは“世間”だというこの社会に、わたしも違和感を抱いている。

ただ、そこまで浮いていると実感として経験したことのないわたしはよほど鈍感か、違和感を抱いていると言いながらその社会に馴染んでいたんだろうか。

見栄を張っている感というか、底のほうで足を引っ張っている感。「勝ち組」「負け組」という価値観。確かにこういう風潮はあるのは分かる。わたし自身は、なにが勝ちで何が負けかなんて自分が決めるものだと思っていたので、世間にどう思われようと何とも思わないけど、こういう風潮は窮屈だなと思う。

若林がキューバ行きを決めたのは、そんな日本の競争社会と真逆の社会主義だからだということと、若林父が生前行きたがっていた国だったからだ。

キューバ、この本を読んで行きたくなったし、キューバの歴史を知りたくなってチェゲバラの本も買ってしまった。ゲバラの名言に「明日死ぬとしたら、生き方が変わるのですか?あなたの今の生き方はどれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」というのがある。

日本の歴史を勉強していても思うけど、特に意識しなくても生きれてしまう現代、「生きる」ということに対してどこまで本気かな、と思う。「生」と「死」がなんか遠いもの、フィクションのように感じられて実感がない。これは、今の生活が便利なように出来上がっていった日本の経済成長や情報過多の世界だからなように思う。

今から2年半ほど前、わたしはオーストラリアにいた。オーストラリアの大地を3ヶ月ほどかけて車でキャンプをしながら一周した。どこまでも広がる広大な大地。外的な情報がほとんどない環境。その日にシャワーが浴びられるか分からない状況でも、キャンプ場と呼べるのか分からないトイレさえない空き地でのキャンプでも、文句はなかった。純粋に楽しかった。楽しむのに情報や比べる何かはいらないと思った。

旅行以外でもオーストラリアの2年半の生活は、シンプルなものだった。ここではキャリアも高価なジュエリーもハイブランドのバッグもジェルネイルもいらなかった。

もちろん、たまにメイクやネイルをするとテンションが上がるし、買い物も楽しい。

でも、みんなが持ってる“何か”や流行っている“何か”はいらなかったし、TPOに合わせての“何か”や、もちろん日本でのキャリアなんて何の役にも立たない。それよりもこのヨーグルト美味しいとか、このワインが安くて美味しいという方がわたしにとって大事な情報だった。

この本を読んで、自分の人生において大切なものは何かなと考えた。

シンプルな生活、最低限のものでいい、とはいえ、キューバのシステムはそれはそれで疲れる。キューバではすべて平等、ジャズバーも国営。職業もそれぞれの職業になるための学校があり、それは若いうちに将来が決められてしまう。住む家も国が決めるのでそこに自由はもちろん、こんな家に住みたいというモチベーションになり得そうな感情が起こることはない。というかそれは実現しない。

それはそれで窮屈だな、と思った。日本で育っていろいろな選択肢を知っているからこその感情なのかもしれないが、この社会主義は限界があるように思う。若林の言うように、資本主義の“機会”が平等の方が自分次第でどうにでもなるのなら、資本主義の方がいいように思う。

さて、この本はキューバ以外にもモンゴルとアイスランドの話も載っている。

それぞれに面白い話でさくさく読めるのは、さすが芸人さんだなと思う。

どちらの話も面白いが、アイスランドでの他の日本人ツアー客とのやり取りが面白かった。もし、世界のどこかで若林(その時は若林さんと呼ぼう)に出会ったら、すぐに声をかけたいと思った。

このアイスランド編に出てくる、わたしの好きなフレーズでこのブログ終えようと思います。すっかり長くなっちゃったなー。

-ぼくは旅先でほぼ叶えられる可能性が無いであろう「では、また」が好きだ。ぼくは絶対この先ふとした時にこの人のことを思い出すだろうから、その時用の「では、また」なのだ。

では、また。

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